algotのブログ

モノ作ってるときに考えてることのストック

理性と恐怖心

俺が人を判断するときに気をつけていること、それは行動を律する基準が「理性」か「恐怖心」か、という点だ。

礼儀作法や気遣いなど、権力者や目上の人間に対して恐怖心で気遣っているのか理性で気遣っているのかでは、見た目は同じでも中身は全く違う。

何故かと言うと、恐怖心で自分を律している人は恐怖心が無くなったら急に幼稚で横暴な人間に変貌するからだ。

理性で行動を律してる人は目下の人間に対しては敬語じゃなくなるだけで別段態度は変わらない。

理性側の人は話し合いも比較的フラットな関係で理路整然と話し合えるが、恐怖心側の人は対等な立場で話し合いなどできない。従うか従わせるかだ。

いわゆる体育会系と呼ばれている人達がいるが、その中でも理性側か恐怖心側の2種類が存在するので一緒くたに考えないように気をつけている。

流れに任せて動かされたい人は恐怖心側の人間との方が付き合いやすいのかもしれない。自分一人で考える機会が少ないからだ。

しかし物事を追求したい、独立したい人は理性側と付き合う方が話が進みやすく気疲れが少なくて済む。