algotのブログ

モノ作ってるときに考えてることのストック

批評眼ゲームに関わるのはしんどい。

「こういうキワモノ作品を評価出来るオレ」的自意識がしんどい。
キワモノを批判しても「これが理解出来ないその他大勢」として見下されデメリットしか無い。
批評する側の批評眼を証明する為に利用されているだけだと気づいていない無垢な作り手も見ていていたたまれない気持ちになる。
意識高い人の批評眼のリトマス試験紙として利用されている。はてブユーザー的な人達。

アートはインタラクティブなもので、鑑賞者もプレイヤーになれる。

アーティストが空けた神秘の謎という思考する余地があり、自分なりの答えを埋めることによって鑑賞者毎に個々の完成品が生まれる。つまりアートは問いかけである。
鑑賞者に考える余裕と知識があるといいが、完全に受け身のマグロだと楽しくない。
アートじゃ無くても、人を惹きつける作品はどれもそう言った側面はあるのかも。
想像力を掻き立てられる意味あり気な断片。つまり思考の考古学。

創作の快感と鑑賞の快感は別モノ

作ってる時のフロー状態や達成感で物凄く良いものに見えたりするが、完成物のみを見る鑑賞者はそこに対する想像力は無く、ただ目の前の物体から造形とストーリーを解釈する。